内田音楽事務所の歴史

内田音楽事務所の生い立ちを語るには何と1938年まで戻らねばなりません。この年、楽団「南十字星」は「支那の夜」をヒットさせていた渡辺はま子のバックバンドとして誕生しました。戦争中は洋楽の演奏禁止など公演ができない時期がありましたが、戦後になると米軍のパーティーやディナーショーなどの演奏を開始し、創始者である内田常二郎はこの頃から、ドラマーとして参加するようになりました。1951年にはジャズブームが始まり、民間放送局が次々に開局して、南十字星はラジオ東京(現TBS)の専属バンドとして活動しました。しかし1962年、銀座のクラブ「新世界」の閉店をきっかけに解散しました。

その後、バンドマスターの杉田氏は新室内楽協会を興し、フリーのミュージシャンを集めてラジオ、テレビ、レコードの演奏を請け負うようになり、常二郎はミュージシャン兼マネージャー(コントラクター)として杉田氏の下で自然に活動していました。おそらく新室内楽協会は、日本で最初のコーディネート会社だったのではないでしょうか。CM、TV、レコード、劇伴の演奏は経済成長にも助けられ、大変忙しくなりましたが、杉田氏の引退と共に常二郎は退職し、長男馨(現経営者)と共に、1979年内田音楽事務所を設立し、現在に至っておりますが、2000年常二郎は他界しています。